Hot pepper ミラクル・ストーリーを読んだ後の反省会 part1

ビジネスの本

こんにちわ!kofaです。

今回はこの本をご紹介したいです。

Hot Pepperミラクル・ストーリー―事業マネジメントを学ぶための物語

本書は皆さんもご存じのHot pepperがたどった成功へのストーリーをベストプラクティス的に紹介していて、副題にもある通り「事業マネジメントを学ぶための物語」が書かれています。

Hot pepperとは何ぞや、事業戦略とは何ぞや、組織論とは何ぞや、営業とは何ぞや、が解像度の高い実話として書かれていて、大げさに言えばHot pepperの立ち上げから成功までの軌跡を追体験できる内容となっています。

言うまでもなく、データ分析の本ではないのですが、本書の所々で「俺はここまで考え抜いて仕事ができているのであろうか・・・」と自分の仕事を振り返り、反省するという読書体験がありました。

私のような機能的な役割を担う人たちは事業目的など事業の意味的な部分から距離がありがちですが、何のための分析なんだっけ?ということを改めて考えさせられます。

「目の前の数字」のもう一つ上の視座を強く意識付けられる読み応えのある一冊でした。

データサイエンティストとしての専門的な業務という観点、マネジメントなどのジェネラルな業務という観点、それぞれに対して示唆がふんだんにあったので、本書からいくつかのフレーズを抜粋して、反省文的な読書録を今回は書いてみました。

KPIを上げることだけが正義なのか?

ユーザーはおいしくて、居心地が好くて、良心的な価格のお店を探している。でも、失敗が怖くて冒険せずにいつもの店に通っている。しかし、「このメニューをこの価格でお得を付けて提供します」という約束があれば動く。保証付きの冒険である。クーポンは保証付きの冒険を可能にするのだ。クーポンは賢い消費を実現する。使うことが得なのではない。使わないことが損になるからだ。そのときクーポンを使うことがケチ臭くて恥ずかしいという気持ちがなくなり、習慣となり文化となる。 

Hot Pepperミラクル・ストーリー―事業マネジメントを学ぶための物語

クーポンを使った消費習慣の創造という事業目的があり、「クーポン」が単なる集客手段以上の意味を持っています。

事業の目的というような、意味的な観点でクーポンといった施策を取り扱ったり、振り返ったりするというところはあんまり考えていなかったなと反省がありました。

事業の目的がKGI、KPIに落ちた瞬間から全ての取り組みはKGI・KPIを上げることになって、施策はKPI・KGIを上げることが唯一の目的という考えでした。

業務内容的に表現すると、「KGI、KPIを上げるためにクーポン的な施策を打つ、そしてその効果検証の分析をする。」

分析をする目的はもっと効果的に施策を打つためであり、その示唆としてはどういったターゲットなら刺さるのか、どういう風なタイミングで顧客が動くのか、などになっていきます。

一方、その施策はユーザーにとって何が嬉しいのか、反応したユーザーにはどんなメリットがあったのか、それは事業の目的の達成に沿った結果だったのか、そういった観点での言及はあまりできていません。

効果検証は必須分析としてやるとして、事業目的などのもう一つ抽象度の高いテーマで議論を仕掛けていくような分析をすべきなのではないか?と考えることを禁じえませんでした。

分析者に対して誰もそんな意見求めてないかもしれないですし、施策の検証というボトムな検証から戦略に提言するような示唆が抽出することができるのか、途方もないような気もしてます。

ただ挑戦はしてみたいと思う、そんな風な爪痕を残すフレーズだったのでした。笑

「アクションへの示唆」のその先まで考えているか?

それは、ユニクロのフリース戦略みたいなものだ。たくさんのアイテムがあって、多品種少量生産になればなるほど生産効率は悪化する。かといって顧客満足が上がるかというとそんなことはない。「ホットペッパー」は1/9サイズの3回連続に決めて顧客への案内を徹底した。それ以外の売り方は認めないくらいの気迫だ。売ってから考えるのでは遅すぎる。生産効率を考えて売り方を設計しなければならない。商品の選択と集中のみならず、商品企画の選択と集中を行ったわけである。

Hot Pepperミラクル・ストーリー―事業マネジメントを学ぶための物語

少し大胆に抽象化して考えてみると、なんでもかんでもやるような、そんな生産性の低いやり方はしちゃいけないという警笛に聞こえました。

分析を生産性高くやること、つまりは、「テーマを絞って→重要な検証ポイントをドリルダウンして→示唆を出す」という基本的な分析の所作はある程度できている自負はあります。

ただ、「分析結果の示唆」が、時としてアクションする人たちの負荷を高めてしまっていないか?ということに対して、考えは及んでいなかったように思います。

かき乱した後のこと考えてる?

絶対にやるべきだというアクションの示唆が出たときに、そのアクションをとらせることを頑張るのは大事です。

一方、余計なことをさせないという努力はしてきたのだろうかという問いかけが頭をよぎりました。

業務負荷という観点でアンバランスな提案を続ける結果として、既存のアクションの質を下げて、新規のアクションは中途半端で成果出ず、というような状況を生み出す片棒を担いでしまっているのではないか。

かき乱すだけ、かき乱しておいて、ほなさいならというのは無責任ですよね。反省です。

労働時間が無限にあった時代は気にしなくても良かったかもしれませんが、そんな働き方が許されない現代においてはよりいっそう気を付ける必要がありそうです。

選択肢の評価にバイアスはないか?

アクションの選択肢の整理として、アクションにかかる「工数」と「期待される効果」の2軸での評価はよくします。

この時、「工数」に対して不当に重みづけをして評価をしてしまっていないだろうかということが頭をよぎりました。

アクションにつながらない分析は意味がないというのは正しいのですが、それが行き過ぎると効果は薄くてもとりあえずできそうなことを優先的にやるというバイアスは確実に発生します。

バイアスのかかった意思決定に導くようにガイドしていないか?はセルフチェックの観点で気にしていくことにします。

企画坊やの右腕に収まっていないか?

特に経営企画とかの中に現場を知らない「企画坊や」がいると延々と戦略を練り直し続ける。けれどじつは、決めたことが実行されないから結果が出ないことに気が付かない。考えるなら、どうすれば「決めたことをやり切れるのか?やり続けるか?」を考え、行動レベルに落とし込むことを考えなければならない。そんなバカな・・・と思うか漏れいないが、じつは「実行しない」ことこそ、事業が成功しない最大の原因である。

Hot Pepperミラクル・ストーリー―事業マネジメントを学ぶための物語

この現象はですね、、、よくありますよね。

戦略、企画を検討する際に、インプット情報として定量的なファクトが必要です。

分析者もファクトとなるデータを作ったり、そこから示唆を抽出したりするために戦略や企画を検討のメンバーとして参画することはよくあります。

オブザーバーとしてではなく、定量的なファクトを1番知っているメンバーとして自分の意見を述べていく、そういった役割はこなせているという感覚はあります。

ただ、、、戦略や企画を実行に落とす努力はしてをどこまで本気でやっていたかといわれれば、人ごとになっていた部分はあります。

戦略を徹底的に実行するのに必要なことはPDCAサイクルの建て付けですから、戦略ができればあとはやるだけですし、覚悟の問題ですね。

戦略に携わるときは、アクションレベルに落として、やり切らせるというミッションを勝手にもって参画することをここに誓います。笑

まとめ

反省していく過程で、データサイエンティストが分析以外の役割をどこまで持つべきなのか?という考えは何度も頭をよぎりました。

一方、事業目的を達成するためのチームの一員であると考えたときに、業務領域をかっちり定義しすぎるのってどうなんだろうか?という疑問も同時に生まれました。

もちろん、別のメンバーがリーダーシップをもって解決するような体制があるのであれば問題はないと思いますが、そんな人がメンバーにいないからこそ私は課題に感じているのであります。

幸いにして私は「コンサル系」のデータサイエンティストなので、ある意味なんでも屋的な素養も持ち合わせているので、「できる奴がやればいい」精神で課題に向き合っていこうと思うのでした。

以上、刺さったフレーズと活用についての考察でした。読書でキャリアを開拓しましょう!

part2も書くので見てね!!

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